わくわくアトリエと子どもたち 「レッジオエミリアの保育」

 子どもの頃から絵を描くことが大好きだった私(副園長)は、中学の美術の先生との出会いをきっかけに、絵の道を歩み始めました。関東の美術系大学を出て、中学、高校の美術講師を経て、東北では短期大学の幼児教育科で将来、保育士になる学生たちに美術・造形関係の講義をしていました。

 その短大の講師時代にイタリアのレッジオエミリアという地域で行われている保育の事を知りました。その街の公立保育所にはアトリエ空間があり、保育士のほかに、アトリエリスタと呼ばれる芸術指導員が配置され、保育士と協同し、対話、議論しながら、環境を創ったり、子どもの育ちを支えたりしているというのです。   第2次世界大戦で日本同様、敗戦国となったイタリアは、「二度と悲惨な戦争を起こさない」という決意の下、各地で子どもたちの育つ環境を根本から見直していったのだそうです。子どもたちが主体的に自由で多様な表現を楽しみ、個々の違いは豊かさと受け止める、そんな幼児期の経験が平和を愛する人格へつながってほしいとの祈りにも似た願いからそのような保育環境が作られたそうです。この保育は世界中に紹介され、日本においても現在の保育指針にかなりの影響を与えています。それは現在の日本の子どもの育つ環境として、この保育方法が、とても有効であるとみられているということと言えます。

 短大を退職後、この保育園で副園長を始めましたが、保育士の目線に自分の画家としての経験を加えることで、レッジオエミリアの思想に近い保育環境が、ここで作れるのではないかと考えてきました。 子どもの造形活動において大切なのは、出来栄えではなく、その過程にあります。結果、ぐちゃぐちゃになったとしても、過程が充実していればいいのです。その逆、結果が良ければそれでいいような風潮も世の中にはありますが、子どもの遊び、生活においては断言していいと思います。濃密な過程に支えられた結果は強固です。その過程を見つめ、変わっていく経過やその時の子どもの言葉や様子を記録する方法を「ドキュメンテーション」といい、レッジオエミリア保育の特徴のひとつです。(昨今、写真を含んだ保育内容の掲示や日誌を「ドキュメンテーション」と呼称することもあります。) 

 それは造形活動だけではなく、子どもの生活や遊び、すべてにおいていえることです。「○○が出来るようになった」「きれいな作品ができた」という結果はもちろん素晴らしいですが、それよりも「いろんなことを工夫した」「何度も挑戦した」「なんだか楽しそうだった」というようなその過程の充実の方が重要なのです。結果は「点」ですが、過程は「線」です。結果という一点にばかり目を奪われると、子どもたちの遊びは遊びではなくなっていきます。どのような経過をたどったのかという「線」をしっかりと見つめること。そのために保育者は、いい結果に導くためではなく、充実した過程を支えるために活動や環境を考えています。例えば、活動がすんなり進まないように、困りそうな場面や考えさせる場面、選択できる場面を設定しておくなどです。

 子どもたちと行っている「わくわくアトリエ」はそういう意味で、単なる「お絵かき教室」「造形教室」ではありません。子どもの育ち全般を見て、支えていく一つの窓口だと思っています。「上手い絵」「きれいな作品」を描き、作ることは目的ではないのです。子どもと遊びを楽しみながら、子どもたちが描く「線」を喜び、いい環境づくりについてもっともっと研究していきたいと思います。(令和6年7月 副園長)