不適切保育について思うこと

 日置市内の保育園で保育士による園児への不適切なかかわりがあったという事案が報道されました。報道に先立って、前年の11月に市内の保育関係機関には市の子ども福祉係による説明会の場が設けられ、本件の経緯や対応などについての説明を受けました。昨今、このような報道を目にする機会も多い中で、近隣での事案として少なからず衝撃を持って受け止めました。本園では前月の10月の園内研修で「保育の虐待防止」をテーマに指針やガイドラインの確認、保育施設での虐待事例の読み合わせ、チェックリストによる保育の振り返り、外部講師による研修動画視聴などを通じて、意識の高揚を図ったところでありましたが、この説明会後には改めて、職員に向けて、本事案についての説明および注意喚起を行いました。また、12月末には本園の役員(理事、監事、評議員)に対しても役員研修会を実施し、事案の説明と本園の考え方や対応について説明する場を設けました。

 保育園で子どもと関わる上で、「子どもの人権を尊重すること」は根本であり、その上で様々な保育環境、保育方法が各園の工夫の元、組み立てられていきます。人権の侵害となるようなかかわり(虐待)はあってはならないのは自明のことです。

 私(副園長)は前職で保育士養成短大の教員として9年ほど勤めて、その間、1000人を超える保育士にならんとする学生に出会ってきました。学生たちにも当然、一人ひとりの性格や特性があり、中には、人付き合いに消極的であったり、苦手意識を持っているような学生もいました。一般的に保育士のイメージは「やさしく、明るく、人好きで、社交的な…」という勝手なリクエストが社会の中に潜在的にあるような気がしますが、必ずしもそういう何拍子もそろった人でなくてもいいのは当然で、むしろ、今、保育のチームを作る上では、様々な個性の保育士がいたほうほうがいいと私は感じています。どんな個性でも大丈夫というわけではないですが、個々の職員がチームの中で人として成長し、成熟したチームとなっていくのが理想だと思います。

 保育園や学校などの虐待の事案では「そういう先生にはみえなかった」とか「いつもはいい先生ですよ。」という言葉もよく聞きます。そういう事案の背景として、必ずしもその人個人の性格や特性ばかりに原因があるとは言えないのではないかと思っています。清廉潔白に真っ白な人もいなければ、悪をいとわないで行える真っ黒の人も存在しません。それに加えて、人の心は揺れることもあるし、体調が悪かったり、心配事があったりすれば、心の余裕もなくなります。

 そんな「心に余裕がない中でも、保育にあたらなければならない」状況が保育士にはあるということを踏まえて、職場環境を作らなければ、仕事の「喜び」とは逆の「すさんだ」保育の方向へ進んでいってしまします。保育園において、子どもたちの人権を大事にするのは言うまでもありませんが、同時に職員も大事にされていなければならないと思います。

 「これまで(昔から)こうやってきたから今後もこうだ」という「変えることができない慣習」や「こうするのが当たり前」、「保育はこうあるべき」という「べき論」、できたかできないかの結果をを過剰に求める「成果至上主義」は保育現場を硬直させ、その重苦しい空気は職員の余裕を奪っていきます。だから、保育内容に関することだけでなく、働き方、休暇の取り方、仕事量など、今に応じて常時アップデートしていくこと、また個々の保育者が抱える課題にも目を向けて成長をサポートできる環境をつくることが経営陣の務めであろうと改めて感じています。同じ保育士でも保育観に違うところがあったり、性格的に合う、合わないがあったりすることもある中で、いい関係の組織を作っていくのは簡単ではありませんが、それを踏まえた上で、コミュニケーションを維持し、お互いを尊重する中で、成熟した組織となるのだろう思います。

 昨今、不適切保育の報道が多い中で、現場の保育士の方々は、自分のかかわりが大丈夫なのか、不安になったり、怯えたりしてしまうこともあります。「指導のつもりが、やや強く言いすぎてしまった」なんて、人と人が向き合う以上、あってしかるべきことです。そうしたとき自分の保育を「よかったのかな?」と内省的に振り返ることはプロとして大事なことですが、それは個人の保育者にのみ任せられるものではなく、いい同僚性やチームとしてのバックアップあることが不可欠だと思います。そうした経験を重ねていく中で、保育者として一流となってほしいと願っています。

 保育者も保育園の主役として、保育者自身がワクワクできる保育を展開できれば、不適切なかかわりは生まれるはずはないと思います。「かかわりに怯える」ことなく、「かかわりを楽しむ」方向に走れる園の風土を創っていけるように思いを新たにした新年です。 

2026年1月 副園長 記